大切な仲間だった上野智代さんの思い出の部屋
みんなの声や動画を集めています。



  
入ったったばかりの頃    ちょっと貫禄ついてきた?!カッコいい     あらこんな格好まで・・・(ハロウィン仮装にて)


演奏動画
Tomoyo Ueno salsa del oriente
Salsa del Oriente ENCORE
Tomoyo Ueno PV
上野智代 コンガ 2011.12.15
「For tu」 中川喜博 中川喜博trio feat.國友孝治 (智ちゃんの為に書かれた曲)
「mascot of green」 國友章太郎 中川喜博trio (同じく)

「今年のクリスマスは一生忘れられないだろう。」
クリスマスの夜・・・26日午前0時頃、北九州の九州自動車道下り線で、路肩に停車していた音楽家上野智代さん(26)の軽乗用車に大型トラックが追突し た。上野さんは全身を打って間もなく死亡、福岡県警高速隊によると、上野さんは停車してハザードランプを点灯させ、友人に携帯電話で「車の調子が悪くなっ た」と連絡していた。トラック運転手は「うとうとしていた」と供述。三重県から福岡市に菓子類を運ぶ途中だった。

この最悪なニュースで報じられたのは、オリエンテでもう5年も一緒にコンガを叩いてくれていた、私の大事なかわいい仲間・・・素直で頑張り屋さんでまっすぐな、とてもいい子だった。

弟のようにかわいいヨッシーが連れてきた一番弟子で、最初来た時は若干二十歳の若さ。
最初は大丈夫かなあ?という感じだったけど、音楽に対する真面目さからどんどん上手になっていき、もう最近ではすっかり素晴らしいコンガプレイヤーに成長 してコーラスも同時にこなし、数々のジョイントライブでも東京のプロ演奏家たちと堂々とインタープレイをする姿には惚れ惚れするものがあった。

先日15日のライブでも、お客の強引な3回目のアンコールに応え、モヒカーノ関さんとSAKURAさんと3人で特別に素敵な演奏を聞かせてくれた。それに ゲタオさんも乗ってきて、Naoちゃん達がたまらず踊りだす・・・ブルーの照明に影のように踊るNaoちゃんと静かでもの悲しいピアノ、そしてコンガ、、、、あの光景が夢みたいだ。

オリエンテのバンドメンバー達は家族のように親密な関係だった。
妹のように、または娘のように、本当に彼女と仲良くしていた。

いつも彼女はバイクかタクシーで来ていた。
こないだもタクシー代を立替払いしてもらっていて払ったばかり。
なのに何故車に乗っていたの?
何故、そんな時間その場場所で車のエンジンから変な音が聞こえてきたの?
何故、そんな止まったばかりの、その場所に居眠り運転のトラックがそのポイントに突っ込んでこなければならなかったの?何故、何故・・・
車は2週間前に買ったばかりだったらしい。
そんな不慣れな初心者が深夜の高速道路でさぞかし不安だったろう。
何も彼女に悪いところはない。「・・・誰かに連れて行かれちゃったのかな」
友達が言った。そうも思いたくなる。

実はその2日前にも私の身近な所で同じような事故に遭遇していた。
会社の事務員さんが事務所のまん前で駐車しようと停止していたところへ
トラックが前方不注意で後ろから突っ込んできたのだ。
彼女の車も吹っ飛び、反対車線の車にぶつかり、ぺちゃんこになった。
・・・しかし、こちらは九死に一生で助かり、救急車で運ばれたものの軽傷で済んだ。
その事故がとても怖くて、「みんな!気をつけてよ!」と呼びかけたい気持ちだったけど、
不謹慎かなと思って控えていた、まさかこんな事がまた起こるとは。
あの時。みんなに呼びかけていても結果は変わらなかったかもしれないけど。
とても残念でしかたがない。

どうかしたら、人を簡単にあやめてしまうような道具を操縦し、毎日何事もなく暮らしている。
ちょっと15度でもハンドル操作を誤ったら対向車に当たって死んでしまうだろう。
ちょっと何秒かでもよそ見をしていて前方に何かが飛び出していたら大事故になるだろう。
何気なく運転し、時間にあせって危ない運転をしたり、体調が悪くて運転が危ういこともある。
ちょっとした事で大事故になりかねないのに、軽く考えすぎていたことを悔やむ・・・・

他にもそんな思い当たる事がある方がいたらちょっと想像してみて下さい。
昨日は北九州でお通夜。
仕事が終わって慌てて駆けつけた、もうすっかり暗くなっていて、高速道路を走る途中、路肩に同じような故障車がハザードをだして何箇所か止まっていた。とても怖かった。彼女の心細さを実感した。こんな時に慌ててはダメだ!と言い聞かせられたような。

会場に着くと、もう始まっていて、ホールに入りきれない人達が通路まで椅子を出して参列していた。みんな彼女に会いたくて遠くから駆けつけてきていた。その中に、もうずっと音信不通だった音楽仲間が偶然いた。
「一緒に音楽をやっていたの?」と聞くと、事故のニュースを見てピンと来て色々仲間に聞いてここまでわざわざやってきたという。先日偶然、某ライブハウスで居合わせ演奏を聞いて、印象に残っていた智ちゃんとはその時一度会っただけらしい。

ちょっと疎遠になっていた仲間達と再会してまた音楽をやろうかという話になり、何か不思議なものを感じた。
式が終わった後、智ちゃんにお別れの挨拶をしても良いとのアナウンスがあった。ちょっと落ち着いてからと思ったら既に長蛇の列・・・会場はジャズが流れ友人と話ながら並んで順番を待った。
40分位待っただろうか、みんな別れづらく、なかなか離れないのでいつまでも進まない。
そしていよいよ、私達の順番になってきたという頃・・・ダイアナ・クラールの歌声が流れてきた。
http://www.youtube.com/watch?v=it1NaXrIN9I&feature=player_embedded

この曲・・・。ちょうどいよいよ会うとドキドキしているという時に、私の大好きなダイアナクラールが流れてくるなんて。ともちゃんもダイアナクラールが好きだったのかな、でもちょうど流れてくるなんて、偶然かもしれないけれど。何かあるんじゃない?
「ああ、彼女、こんなドラムを叩いていたよ」とその友達が言う。実は私は智ちゃんのジャズドラムを一度も聞いたことが無かった。そうなんだ、こんなドラムだったんだね・・・聞かせてくれてありがとう。偶然かもしれないけれど、勝手にそんな風に考える。

それからさっきお風呂に入って考えていた時、ふいに天井から一滴の水が・・・
天井に水滴はまったく無いのに、何かあるんじゃない?って。他の人が聞いたらバカじゃないって思うようなことをいちいち考えてる。私よりもっともっと大切な人たちがいるからこんなとこに来るわけないのに。

ともすれば、何も感じずに通り過ぎるような事を、こんなにも愛おしく、運命のように、彼女の気配を感じるように思うなんて、、、不思議なこと。
毎日、出会うひと、事柄、この一瞬、ひと時を大事に思えば、全然違ったものが感じられる。

私が勝手に考えることだけれど、事故の日からずっと考えていた。
こんなにも一瞬で生命が絶たれてしまうようなありえない事が起こっているのに、私は長いこと運転していて危ないことも沢山あったのに。自分が生かされている意味はなんだろう。運転していて、涙を溜めながらずっとそんな事を考えている。

幸せとは何だろう、それは求める過程にある。
私たちはいかにその悲しみを乗り越え、希望を見出していったらいいのだろうか
偶然つけたテレビで宮沢賢治のことばとして出されていた。
悲しいことも幸いへの道筋だと、そして「歌え(心)、踊れ(身体)、そして祈れ(魂)」と。
一生、懸命に命がけで頑張ることが本当の幸いだ。
「“悲しみ”をいかにして乗り越えるか 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』」
未完で終わった銀河鉄道の夜。どんな状況にあっても、けっして私達は無力ではないというメッセージを、死の前まで「銀河鉄道の夜」を書き続けた賢治の生き方に見出す。生者と死者を等価に描きながら、賢治独自の自然観と未来観を映し出す・・・この本読んでみよう。

本当に毎日を一生懸命 頑張って生きなくてはいけない。
ともちゃんに教えてもらった。
ともちゃんありがとう。その純真汚れないまっすぐな魂はすぐに天国に昇り、きっと神様から自由に下界に下りる許可をもらえる位高貴なものかもしれない。でもあんまり行ったりきたりしないで、早くまた生まれ変わって大好きな音楽を皆に聞かせて下さい。

それまでしばしの間安らかに・・・・ 


「オリエンテメンバーとして入ってきたころの彼女の性格も知らず私達が最初につけたあだ名は「イチゴちゃん」。 」
おじさん おばさんメンバーの多いこのバンドにゆかちゃんと一緒に来たこの2人はどう見ても異星人だったなぁ。
本当にまじめで努力家だった彼女をいつのまにか誰も「イチゴちゃん」なんて呼ばなくなり、重いコンガを「お疲れ様です!」と言いながらスタジオのドアを開けて入ってくる。
それはこれからも続くはずだったのに・・・

お通夜お葬式に来たくても来れなかった皆さんにお伝えしたく下手な文章で申し訳ありませんが少し綴らせてください

典礼会館2Fにはかわいらしいピンクの花がちりばめられ、スカイブルーの背景のなかターコイズブルーのキャミにパナマ帽でコンガを前に微笑む智ちゃんの遺影。 これは去年のオリエンテでの演奏中の写真だった・・(御通夜にて)


お葬式も彼女の車の中から見つかったアイポットからの曲が流れ、一緒に演奏した仲間達の花輪が更に増え、関さん ゲタオさんの弔電やオオギミさんの花を見ながら・・この1年の彼女を思い出してた。

お通夜では83才のお祖母様がともちゃんの事をどんなに家族に愛され素敵な女の子だったかを語られ皆涙がとまらなかったのですが、お葬式ではお母様がともちゃんちゃんにお別れの手紙を・・ 「何で私があなたの遺影を探さなきゃいけないの」
少し困った顔で悲しそうにうつむく彼女が見えた気がしました

師匠ヨッシーとマスカレードの皆さんが彼女の1番好きだった曲を演奏。コンガで始まったその曲は「メロディ−ズ オブ ラブ」ジョーサンプル(クルセイダーズ)の曲だそうです。こんな風に叩きたいって気持ちをヨッシーが智ちゃんに成り代わって演奏したかのようでした。
私にはこれが彼女の追悼曲です
その後、幼い頃からの写真の映像が流れ、どんなに彼女が大事に育てられ愛され優しい素敵な女性になっていったかが解り更にこの悲劇を辛くさせます。寝顔は微笑んでいるかのようにきれいで優しい顔でした。 こぼれそうな大きな目は閉じられたままで眠っているようです。

出来るだけ見届けたいとお通夜でも葬儀でもたくさんの人が彼女の近くに寄り添い花を添え、その列があまりに長く悲しみの中にいらっしゃるご両親があまりの人の多さに驚かれたと言っていらっしゃいました。

きっとともちゃんもびっくりしてるだろうな〜。みんなあなたのことが大好きだったんだよ
ほんとにこんな形でみんなの前からいなくなってバカタレです!

「口数は少ないけど優しい子で・・」お祖母様のお言葉より。
「忘れないでください・・」ご家族の叫びです。


彼女のデータや写真を探しています 。出来るだけご家族にお渡ししたいと思います。お持ちのかたはご協力お願いします
もしかしたら失礼な文章になっておりますこと等お許しください

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